フィルム写真のデジタライズ Ⅱ

先日も書いた、自分が今まで撮った銀塩写真を全部見直し(200万枚以上あった)、残したい物をデジタライズし、あとは裁断する、という作業は、約七年を要してカラー写真をほぼ完了した。勿論それにかかりっきりだったわけではなく、いま現在の仕事の合間に、やり続けていたのだ。作業は長かったが、色々思うことがあった。今はモノクロ写真にかかっている。多分生きているうちに全部終われるだろう。
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五十数年にわたって、撮り続けた写真。これらは自分が生きた証でもあり、精神の記録でもあり、欲望の記録でもある。年齢によって、経験によって、考えの深化によって、写真がどんどん変化している。オザワという人間の考えの記録。そして写真にはその時代が写っている。これは時代の記録でもある。
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また、最初からいまに至るまで、自分の写真の根っこのところが全く変わっていないことにも気づいた。これは自慢するような話じゃない。人の根っこはそう簡単に変わらない。当たり前のことだ。
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いや、別に拗ねてるわけでもなく、悲観してるわけでもなくいうけど、前にも書いたが、オザワ程度の写真家の写真を、だれかが検証してくれることはない。またしてくれても、それが明晰だという保証はない。じゃあ、自分のために自分でやるだけだ。オザワはまあ、世界にとってはちっぽけなものだが、マジに考えて、考えて写真を撮ってきた。自分では、大切な生きた証なのだし、実は世界にとっても意味あるものだと信じている。
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自分の全人生で撮った写真を、自分で最後に全部見直して、取捨選択して、自分でデジタライズする、世界初の人かもしれないね。
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デジタライズした写真はどうするのかって? ハードディスクに入れておくんです。そう遠くない未来にこの儚い記憶媒体は、機能しなくなるか、処分されるだろう。それはそれでいい。オザワが捨てられなかった数万枚の写真は、それをもう一度選ぶことによって、オザワの中に、意味として刻まれたから。
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今日お見せするのは、まだオザワが篠山紀信師の弟子だった頃、休みの日に銚子港の撮影に行った時のもの。そのごく一部をお見せする。これは練習だからどこにも発表されなかった。オザワは24歳ぐらいだった。今は70半ばになったが、今も同じ対象に対する気持ちを持っていることに、改めて気づく。
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この後フリーランスになって、アイドルや女優などもたくさん撮るようになるが、旅の写真も撮り続けた。そのどちらの写真においても、この根っこのところは揺らいでいないことがわかった。
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ここを見てくれている、写真好きの皆さんも、いつか、自分の写真の「総量」を振り返る時が来るかもしれない。撮りっぱなしで、振り返っても見ない、というのはつまらないからね。
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蓮っ葉な思いで写真を撮らないでほしい。テクニックや、自分の手腕を見せるのではなく、写真の持つ、根っこのところの力を探求して欲しい。そうすれば、振り返って、自分の生きた証が、意味の濃いものになっていることに気づけるだろう。
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ちょっとお説教のようになったかな。